らいなの手帳

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ゆとり教育の意味と詰め込み教育の擁護

ゆとり教育の意味と詰め込み教育の擁護



【ソフィア・フロネーシス】

哲学者アリストテレスは、人間の知性をソフィアとフロネーシスとに分けて考えた。

ソフィアとは、知識のこと。

フロネーシスとは、思考力のこと。

今回は、その理論を採用して教育について自分なりの意見を述べる。


【参考文献】

・名門校とは何か?

・何のための「教養」か

・AI vs. 教科書が読めない子どもたち

・新・リーダーのための教養講義


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ゆとり教育とは何か?】

ゆとり教育」と聞くと、『勉強をしない』というイメージを連想する人も多いだろうが、それは正しくない。

部分的には合っているが、部分的にしか合っていない。

本当の意味でのゆとり教育とは、『暗記やペーパーテストの勉強量を減らし』『代わりに論文制作や議論をしたり、リベラルアーツの勉強をする』というものである。

端的に意訳すると、『授業による知識のインプット量を減らす』『その代わりに思考力やアウトプット力を鍛える』というもの。

実際に行われたゆとり教育では、多くのケースで『勉強量を減らす』のみしか行われなかったため、失敗してしまっていた。

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【真のゆとり教育のメリット】

詰め込み教育」vs「間違えたゆとり教育」では、「詰め込み教育」に軍配が上がる。

では、「詰め込み教育」vs「真のゆとり教育」ではどうだろう?

期待通りの成果を上げた場合に限り、「真のゆとり教育」の勝利となると考えられる。


詰め込み教育では、教科書や問題集に乗っている事をそのまま丸暗記するだけなので、捻った問題や習っていない問題、答えのない問題が出されると答えられない。覚えた解答を機械的に吐き出しているにすぎないので、知らない事には答える事ができない。

対して真のゆとり教育では、そういった類の問題に対しても、『考えて解く』という事ができる。知らないのなら、考えてみるのだ。


今後、センター試験では論文や思考力が問われる問題が増えるという。

そのため、真のゆとり教育によって培われる思考力が必要となる。

つまり、真のゆとり教育が必要とされる時代になりつつあるのだ。

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【真のゆとり教育が必要な理由】

AI(人工知能)の発達により、それに仕事が奪われる時代が来るとされている。

例えば単純作業や入力業務など、『機械にもできる事』は人間の仕事ではなくなる。


そんなAIに対して人間ができる事は2つある。

「人間の労働コスト(給料)を下げる」か「AIにはできない事を仕事とする」だ。

(AIの開発を中断させる、というネオラッダイト運動のような考えは今回は無視する)


AIは所詮、計算機でしかないので「考える」という事は原理上できない。

よって「考える」事を仕事とできれば、AIが競争相手にはならずに済む。

しかしながら、詰め込み教育(と間違えたゆとり教育)では、その考える力を養えない。

やはり、真のゆとり教育が必要となるのだ。

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【真ゆとり教育の課題点】

だいぶ持ち上げてきた真ゆとり教育だが、いくつか課題がある。


・問題を解くのが面倒くさい

ゆとり教育の方が、詰め込み教育で出される問題よりも答えるのが面倒くさい問題が出される。

詰め込み教育では教科書に載っている答えをそのまま書き込めばマルだが、真ゆとり教育ではそうはいかない。

私が真ゆとり教育のような教育を受けていたため多少のバイアスはあると思うが、その差を極端に表現するとこんな感じ。


>生物の先生「トマトに水をあまり与えないと、果実に糖が集まって甘くて美味しい果実になる。はい、では次の問いに答えてね」

>詰め込み教育『問題、トマトに水をあまり与えないとどうなる?』

>真ゆとり教育『今の解説を聞いて、疑問に思った事を挙げなさい。また、それに対する解答を述べなさい』


ちなみに解答の一例はこんな感じ。


>Q.水を減らすと美味しくなるのなら、逆に水を多く与えれば、意図的にマズいトマトを作れるのか?

>A.調べてみたところ、水を過剰に与えると「根っこが腐り、栄養を吸い取れなくなる。そしてやがて枯れる」「果実に水分が行き過ぎて果実が破裂する」など、ウマいマズい以前にそもそも収穫できなくなるようだ。運良く収穫できた場合、水分が多くて味の薄いものになると思うが、それがマズいかは食べてみなければ分からない。(多分、味がしなくてマズいと思う)


>Q.雨が降ったら勝手に水やりされてしまうが、どのように対策するのか?

>A.ビニールハウスという建物の中で育てる事で対策できる。外で育てる場合では、土の上にマルチシートというシートを被せて、土が濡れにくくさせる事ができるらしい


実際のところ、答えるのはかなり面倒くさい。

詰め込み教育は言われた事を理解できればそれでいいのだが、真ゆとり教育では理解した上でその先を目指す必要がある。

詰め込み教育では理解するのがゴールだが、真ゆとり教育では理解するのはスタート地点なのである。

生徒への負担が大きいのは、デメリットの1つとカウントできる。


・教師に高い思考力を要求する

詰め込み教育では、問題を解かせてテスト用紙と模範解答を照合してマルバツをつければそれで済む。機械的に作業できる。

一方で、議論やレポートが多い真ゆとり教育ではそうはいかない。

生徒の出した解答を見て、それが言わば《正解のイデア》に含まれているかどうかを考える必要がある。

その作業は機械的には行えず、教師への負担は大きい。

付け加えると、そもそも教師が高い思考力を持っていなくてはならない。


・元々の思考力がある程度必要

思考力を養うには、物事をよく考える必要がある。

物事をよく考えるには、思考力が必要となる。

つまり、ある程度の思考力を元々持っている人のみが、思考力を鍛える事ができるのだ。

服を買いに行くには服が必要なのである。

裏を返すと、思考力を持ち合わせていない生徒に思考力を鍛える訓練を受けさせる事はできない......とまでは言わないが、かなり無理がある。


・知識も必要

議論をするには知識が必要となる。

例えば『来期もトランプが大統領をするべきか?』という議題に対して「度重なる経済制裁によって世界経済に混乱をもたらしているから、世界秩序のために辞めるべき」と答えるには、ニュースを見ておく必要がある。

その意見に対して「いや、歴代アメリカ大統領はトランプ以前からも経済制裁をチラつかせて世界経済をかき回していた。だからそれはトランプが辞めるべき理由にはならない」と反論するには、アメリカの外交の歴史を知っておく必要がある。

そしてそれらの知識は授業で教える訳ではなく、生徒が自分の時間を使って集めるべきなのである。(授業で教えるなら、程度にもよるがそれは詰め込み教育的である)


・生徒側に極めて高い自律心を要求する。

ゆとり教育は多くの場合で「自由」を掲げる事となる。

その場合、自分で自分を制御する高度な自律心がなければならない。(そして高度な自律心を持つ生徒はとても少ない。大半の人間は易きに流れる)


・間違えたゆとり教育紙一重

一歩間違えると間違えたゆとり教育になる。

ゆとり教育最大のリスク。

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詰め込み教育の擁護】

散々詰め込み教育を見下してきたが、現実的には詰め込み教育にもある程度の価値はある。

確かに詰め込み教育は、勉強しかできない頭でっかちな人間を作る訳だが、それでも一定の価値はある。


詰め込み教育の価値は一点で、(落ちこぼれない限りは)勉強はできる人間を作れるというところ。

言い換えると、言われた事を言われた通りに出来る人間を作れるということ。

言われた事を言われた通りに出来るだけの人間はAIと競合するのは前述の通りだが、言われた事すら出来ない人間は勝負の土俵にすら立てない。それよりはマシだろう。


ゆとり教育とは、上手く行けば真ゆとり教育として思考力が高い人間を育てられる。

しかし失敗したら(多くの場合で失敗する)、間違えたゆとり教育として、知っての通りの結果になる。

それなら、真のゆとり教育を目指すより、詰め込み教育で妥協するのもひとつの手だと思う。


たとえ話をしよう。

東京からハワイに向けて自家用ジェットで飛んでいるとする。

その際、フライトの途中でハワイまでの燃料が足りない事が明らかになったとする。

その場合、持てる燃料全てを使い、できる限りハワイに近づく事は間違えた選択となる。

ハワイを諦めて他の島(たとえばグアム)を目指すべきなのである。

最善のハワイを目指して志半ばで太平洋に落下するより、次善のグアムを目指してタモン湾でバカンスする方がいいのだ。


教育も同様で、「真のゆとり教育」を目指して「間違えたゆとり教育」に不時着するくらいなら、次善の策である「詰め込み教育」で妥協してそれを目指すのは正しいと思う。

理想的だが実現が困難なプランと妥協的だが現実的なプランとでは、後者に賭けた方がいいケースもある。

特に、教育はそれを受ける生徒の人格や人生を左右してしまうため、上振れ下振れが激しいワンチャン狙いをするよりも、上振れはないが下振れもしにくい安定したプランを取るべきであると考えられる。


一応、全ての国民をまとめて一匹の生き物として捉えるならその限りではない。

多くの生徒にワンチャン狙いのゆとり教育を行い、運良く成功した生徒を重用するという方針も、倫理的な問題はあるものの、ひとつのプランとしては考えられなくもない。

つまり下手な鉄砲を数撃って、当たった弾丸を重用して外れた弾丸は切り捨てる。

倫理的な問題がある他、少子化が加速する国でやるような政策ではなさそうだが。

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私見

結局ゆとり教育詰め込み教育はどちらの方がいいのか?という話について、個人的には生徒のレベルに合わせて使い分けるべきだと考えている。

大多数の一般生徒には詰め込み教育を行い、ごく少数の自律心ある生徒にはゆとり教育を行うというものだ。

生徒達をどのように分けるのか、エリート思想が強くなるのではないか、教育格差が更に深刻になるのではないか......などと問題はある。

しかし、全員に詰め込み教育を行い全員頭でっかちにさせたり、全員にゆとり教育を行い失敗させるよりはマシだと思う。


それに、真ゆとり教育に似た授業を受けてきた私に言わせれば、やはり真ゆとり教育を受けるのはとても面倒くさい。

物事を覚えるのは大前提で、その上で自分の頭を使って考える必要があるのはとてもとても大変である。

今となってはその教育を受けてきて良かったと思うが、当時はまあ、辛いと感じていた。


世の中には、たとえ将来の自分のためだとしても努力はしたくないと考える人は案外いる。

そういった人に、並々ならぬ努力を強いる真ゆとり教育を受けさせるべきだとは言い切れない。

ならば、あまりやる気のない生徒には、覚えるだけでオーケーな詰め込み教育を施すのは間違いではない......と思う。

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私見の批判】

自分自身の意見に対していくつか批判を加える。


・教育格差の拡大

詰め込み教育を行う学校」と「真ゆとり教育を目指す学校」を分ける場合、そこには明らかなレベル差が現れるだろう。

現在でさえ、出身校によって目指せる大学や就職先が実質的に制限されているのに、それに拍車がかかるのは火を見るよりも明らかだ。


・チャンスの不平等性

本当は高い思考力を持ちうるポテンシャルを持っていたのに、詰め込み教育学校に入学したせいでそれを活かせなかった......という人が現れるのではないか?

もっとも、ポテンシャルがあったのかどうかは真ゆとり教育を行なった後でなければ分からないのだが。


他にも思いついたら後で追記する。

以上。